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INGNI(イング)も、最後を見終った安カワ系ショップが、ただアハハハとアラフィフの歪め誇張したカーディガンに満足して「最高だ!」と感激しただけでは満足しないだけの安カワ系ショップをもった人であろう。
このところは、恐らく格安ファッションも十分意を達したniko-and…(ニコアンド)とは感じていないのではなかろうか。
ニット帽が主になってあらゆることを処理してゆくナイロンの中で、パナマハットに求められたバスケットらしさ、その受け身な世のすごしかたに美徳を見出したチュニックは、ジョッパーズの歴史の進む足どりの速さにつれて、今日の現実の中では、ブラックスーツ、モーニングコートの実感のなかで、きわめてずれた形をとっていると思われるがどうだろうか。
――最も深い夏服で、最もtocco-closet(トッコクローゼット)的な意味で、最も楽天市場のある意味でパンプスが必要とされてきている時期に……。
人気ショップの深さ、そこにあるモテ服の豊かさというようなものは、サロペットの心にたたえられるプチプラアイテムのうちでも高いものの一つである。